東京地方裁判所 昭和55年(ワ)13400号・昭55年(ワ)10450号 判決
原告
有限会社東駒ビルヂィング
被告
株式会社東邦相互銀行
【事実】
第二 当事者の主張
(本訴請求について)
一 請求原因
1 原告(反訴被告、以下原告という)は、被告(反訴原告、以下被告という)との間で当座取引契約を締結し、これにもとづいて被告を支払人とする小切手を振り出して取引の決済に宛てていたものである。
2 原告は、別紙目録記載の小切手一通(以下本件小切手という)を振り出し、本件小切手は支払のため昭和五五年二月二〇日、東京手形交換所に呈示されたが、預金不足を理由として、支払銀行の被告東京支店は、支払を拒絶し、不渡届を右交換所に提出して、その旨を同交換所の不渡報告書に掲載するに至らせた。
【判旨】
(本訴請求について)
一請求原因1及び2の各事実については当事者間に争いがない。
二原告は、被告が持出銀行である北海道拓殖銀行渋谷支店からの依頼返却に応じないで、原告振出の本件小切手の支払いを拒絶したことにもとずいて不渡届を提出し、交換所の不渡報告にその旨掲載されたのは、被告において原告との契約上の責任があると主張する。よつて、まず、本件小切手の取扱の経緯を明らかにすると、<証拠>を総合すれば、次の事実が認められる。
(1) 本件小切手は、原告の親会社である東菱酒造株式会社(以下、東菱という。)が訴外伊藤嘉朗から借りた金員の弁済のために原告が振出し、予め右伊藤に渡されていたもので、右借金債務の弁済期を昭和五五年二月二〇日と定めていたが、東菱の資金繰りの都合によつてはこれを猶予することについて、右伊藤も了解していたところ、東菱から格別の連絡がないままに、同月一九日右伊藤は取引先の北海道拓殖銀行渋谷支店にその取立を委任した。
(2) その結果、本件小切手は北海道拓殖銀行渋谷支店から手形交換に付され、二〇日午前一〇時過ぎには、被告が東京手形交換所の社員でないため代理交換を委嘱している協和銀行銀座支店を経由して、被告東京支店に呈示された。
(3) 原告の当座預金不足で支払に応じがたいものであることを発見した被告東京支店の担当者である越智満規は右同日午前一一時ごろ東菱の常務取締役である井上久寿男に対し本件小切手が呈示されていることを電話で連絡したところ、驚愕した同人から本件小切手については依頼返却となる予定である旨の回答を得た。その後、右越智は何度か右井上と連絡をとり合つたが、本件小切手の所持人である伊藤と連絡がつかず、同人が持出銀行である北海道拓殖銀行渋谷支店に依頼返却の手続きを求めることができなかつたため、結局当日の営業時間である午後三時を過ぎて、被告東京支店が翌日の交換にまわす手形を、協和銀行銀座支店に持参する刻限と定めている午後四時までに右銀行から依頼返却の手続によつてほしい旨の連絡はなかつた。
(4) そこで右越智は右同日午後四時過ぎ、右井上に対し、預金不足により不渡返還する旨通告した後、翌日の逆交換に付するため、協和銀行銀座支店に本件小切手を持ち出した。
(5) ところが、右同日午後五時一五分頃、北海道拓殖銀行渋谷支店から被告東京支店に対し、本件小切手を依頼返却の手続によつて処理してほしい旨の請求を受けたが、被告は本件小切手を、既に、逆交換に付するため持ち出しており手許にはないので、依頼返却の手続を取りようがない旨の回答を右銀行にした。(もつともこの点につき証人越智満規の証言中の一部には、北海道拓殖銀行渋谷支店は、本件小切手が被告東京支店の手許にあるか否かの照会をしてきたのであつて依頼返却の請求をしてきたのではないとする部分があるが、右照会が取立人からの依頼返却の求めがあつたことを理由とするもので、同銀行もその旨伝えているのであるから、右照会には本件小切手が被告の手許にあれば依頼返却の手続によつて処理することを請求する趣旨も含んでいたと解して妨げない。)被告は、右同日午後五時過ぎには右井上から、午後六時三〇分頃には右伊藤から、それぞれ依頼返却に応じてほしい旨懇請されたが、いずれも、本件小切手が手許にないことを理由にこれを断わつた。
三以上認定したところが本件における事実の経過の要旨であつて、右認定を覆えすに足りる証拠はない。さて、<証拠>によると、原告がタカサキフーズ株式会社との間で進めていた同社所有の錦糸町駅前にある「ごつあん会館」ビルを買い取る交渉は、本件小切手が不渡りになつたことを理由として、五〇〇〇万円の価格の値上げと現金による支払いを要求されて、結局右ビルの買収を断念していることが認められ、本件小切手について不渡届がなされたことによつて、原告の信用が著しく害されたことは容易に推察し得るところである。よつて、被告の所為について、その責任の有無を検討する。
ところで依頼返却(東京手形交換所規則二〇条三項五号)というのは、本来は、交換に持ち出すべきでない手形たとえば書き換え済みの旧手形や期日未到来の手形が交換にかけられた場合に持出銀行がその交換呈示を撤回して、持出前の状態に復帰する方法として行なわれていたものであるが、現在では、資金の都合のつかない振出人の懇請によつて、不渡処分を回避する方法として、持出銀行が依頼返却の請求をすると支払銀行も自己の取引先である振出人の利益になることからこれに応ずることが少なくない(以上の事実は、公知の事実である。)のである。本件で問題とされている依頼返却も、このような特殊な返還方法についてである。そして、原告は被告に対し被告を支払人とする小切手についてその支払を委託するとともに、その小切手の支払に関して生じた事務処理に関してもこれを一括して委託したものであつてその間の法律関係は準委任契約であり、被告は善良なる管理者の注意をもつてその事務を処理する義務を負い、その内容として、不渡避止のための注意も含むが、他方、手形交換所の社員銀行を支払場所とする手形・小切手は、すべて手形交換を通じて決済する(東京手形交換所規則五条)のであるからかかる手形・小切手を振出す者は、手形交換所の交換規則とこれを前提とする支払銀行の処置に服することを、あらかじめ包括的に手形交換所および支払銀行に対して承諾した上で、手形小切手を振出していると考えることができるので、持出銀行からの依頼返却の請求に対して、支払銀行は通常の手形交換業務の範囲内で、これに応えれば、善管注意義務に欠けることはないと解される。
そこで、本件においては、先に認定した事実によると、被告は協和銀行を通じて代理交換を行つていて、同銀行に翌日の交換にかける手形を持参する時刻を午後四時と決めているのに、同時刻までに持出銀行から被告に対して、依頼返却の請求がなかつたというのであるから、被告としては午後四時をもつて本件小切手を不渡として受託銀行に持ち出すのもやむを得ないものというべく、午後四時以降の依頼返却の申出に応じなかつたとしても何ら義務違反を生ずるものではないといわねばならない。
すなわち、原告は本件において予め依頼返却の請求がある旨告げられていたのであるから、被告は本件小切手を手許に置いておくべきであつた若しくは、逆交換にかけた場合であつても、不渡届を提出する時限(翌日の九時三〇分)までは、依頼返却に応ずることが可能であつたと主張するが、手形交換にかけられた手形・小切手については、支払銀行が受け入れた手形・小切手の内容を、一々点検することなく、一応全部支払うものとして交換を経由したうえで、日本銀行当座勘定を通じて支払をし、不渡りとなつた手形・小切手についても既に支払済みとなつているのであり、支払銀行が法定の不渡宣言を付して持出銀行に返還をして、代り金を受けとるという方法で、既になした交換を修正するのであるが、不渡手形・小切手を返還しうる時限は絶対的なものであつて、時限経過後の返還に対して、持出銀行は代り金支払義務はないというのが、手形交換制度の骨子である(以上の事実は公知の事実である。)ことを併せ考えると、依頼返却がある旨告げられたからといつて、本件小切手を手許におかなかつたことをもつて、注意義務に違反するとはいえないし、既に、逆交換に入つている当該小切手一枚だけを抜き出すことは、物理的に不可能でなしにしても、手形交換事務は一定の時間的制約の中で大量の手形小切手を処理する必要があり、当該小切手のみ特殊な取扱いをすることは様々な事故につながる可能性が大きいのであつて、この様な特殊例外的な処理を被告に義務づけることは被告に著しい危険負担を負わせることになつて妥当でないのである。
以上のとおりであるから、被告が本件小切手について、不渡届を提出したことについて、注意義務に欠ける点はなかつたというべきである。よつて、本訴請求はその余の点について判断するまでもなく理由がない。
(畔柳正義)